婚活を4年続けた結果、成功し結婚した夫婦の体験談を公開!

結婚するまで4年近く婚活を行い、参加した婚活パーティーは数知れず、そして、活動したアプリも多々あります。

今までの記事を読まれた方はこんな感じではないでしょうか。

「4年間どんな活動をしていたのか?」とか

「本当に婚活サイトで結婚できるのか」とか

「そもそも女性と会うことができるのか?」とか

いろんな思いが交錯しているはずです。

婚活を行う前の私は上のような不安でいっぱいでした。

しかし、これは仕事でもいえることですが、婚活にも当てはまります。

・まず行動してみる

これが一番効果があります。そして、最初の一歩を踏み出してみてください。

そうすれば、いい女性と巡り合うことができ、結婚後の素敵な未来が待っております★

一歩を踏み出せない方、早く行動して私たちと一緒の世界に来ませんか?

 

これでもまだ一歩を踏み出せない方のために、私庄太郎が今の妻すみれと結婚するまでの4年間を余すことなく伝えます。

正直妻にも言ってない内容があるので、妻に見られると後がどうなるか怖い所もありますがそこも公開します。

色々な記事を読まれてそろそろ婚活を行おうかと考えている方へ婚活成功した先輩(失礼)からのささやかなプレゼントです。

その1 そもそもなぜ婚活を始めたのか?

 

婚活を始めたきっかけはプロフィールにも少し記載しておりますが、そこをより具体的に話します。

元々私は大学時代親元から離れた所で暮らし、そこで就職しようと考えてました。私が大学2年の頃までは景気も良く、このままいけば就職活動も楽勝!と言われていた時でした。

ただ、その期待も大学2年の秋に崩されることになります。

大学2年の秋に世界的に起こった出来事が、「リーマンショック」です。

※リーマンショックとは→リーマン・ショックは、2008年9月15日に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象を総括的によぶ。 引用 wikipedia リーマンショック

この影響で、今まで楽勝と言われていた就職活動が一変しました。

大学3年になり、就職活動が始まった時に言われたことが

「今は厳しい」

今思うと、2000年代の就職氷河期ほどではないのですが、当時もなかなか厳しい時代でした。

私はその中就職活動を行いましたが、どこを受けても「不採用」ばかり。大学4年の秋になっても就職先が見つからない状況でした。

「このままここで就職活動しても内定はもらえない」

と判断し、大学時代住んでいた周辺での就職活動をあきらめ、出身地へ帰ることになりました。

出身地で就職活動を行ったら、運よく出身地ではそこそこいい企業に内定をもらえたので、そこへ就職しました。

就職後は実家で生活をしていたのですが、働き始めて1年ちょっとが経過した頃に、仕事から帰ってくると何やら白い封筒が

庄太郎
これ何?

母親「釣書、もらってきたから見てあんたも書いて」

庄太郎
釣書?何それ??

と言うことで、ネットで調べてみた所

釣書とは→釣書(つりがき、つりしょ)は、縁談(お見合い)の時にお互いで取り交わす自己紹介(プロフィール)を載せた書面のこと。身上書(しんじょうしょ)と、同義語である。 引用 wikipedia  釣書

私の知らない間で勝手に縁談の話をされていたみたいです。

それで、私の働いていた所が出身地ではそこそこいい企業だったからという理由で、相手の親から釣書を渡されたということでした。

庄太郎
突き返して

母親「会ってみたら?」

庄太郎
突き返しといて

と言い、その場は突き返してもらいましたが、その後もやってくる釣書、縁談攻撃。

母親「友人の□□さんの友人の〇〇さん所の娘さんがいい年になっているのにいい人がいないと言っているの、連絡先交換する?」

庄太郎
それ本人の同意を得ているん?勝手に親同士が話進めているだけ違うん?

半ばキレ気味に母親に言う。

母親「そこまで言うんだったら聞いてみる」

この時は母親も聞いてくれました。

そしたら、この時の話は□□さんと〇〇さん(親同士)が勝手に話を進めてて、□□さんが仲人になって私の母親に声をかけたという次第でした。

そして、相手の娘に聞いてみたら「今結婚する気は全くない」とのこと。

庄太郎
そんな状態で会っても時間の無駄、断っといて

母親「そこまで言うんだったら」

と言うことで、ここでも事なきを得ました。

正直親同士の場合は友人ネットワークを使ってこういう紹介がかなり多かったです。

田舎なので仕方ない所もありますが、親世代が結婚した年代に自分の子どもがなると「結婚させよう」と躍起になるのを傍目で見て思いました。

これ以外にも釣書が来たりしましたが、祖母が突き返してくれてたのも数件ありました。

庄太郎の心の声
このままでは親に結婚相手を選ばされる、そんなのはたまったもんでない

ということで、自分で結婚相手を探す決意をしました。

この決意をしたのが、20代半ば(23の夏)でした。

まとめ

・釣書攻撃、縁談攻撃をやられ親に結婚相手を選ばれるのが嫌だったから自分自身で結婚相手を探す決意をする

活動する場所探し

 

さほど話しもできなかった婚活パーティー参加

庄太郎の心の声
自分で結婚相手を探す

という決意をしたのはいいのですが、この時、地元の同級生と殆ど連絡を取っていない状況でした。数少ない地元の同級生でも、学生をしていたり、男友達ばかりで紹介できる人がいない、など、紹介してもらえる状況ではありませんでした。

庄太郎
何かないものか

そう思いながらネットで調べていた所、婚活パーティーや婚活アプリ、ネット婚活にたどり着きました。

庄太郎
ネット婚活・・・、なんか怖いな

ネット婚活の第一印象はこんな感じです。

この時の私は、出会い系サイトと婚活サイトの区別がついていない状態でした。

「出会い系で知り合った人と一緒に行ったら犯罪に巻き込まれた」とか、

「出会い系に入ったのはいいが出会えることなくお金をだまし取られた」とか、

「出会い系でいいと思う人と話して会ってみたら男だった!」とかそういうのがそういうのが一時世間をにぎわした時があったため、婚活サイト=そういう危ない系というイメージが先行してました。

この考えは後々間違っていたことが証明されますが、それは後に話します。

話を戻して、いろいろな婚活パーティーや婚活アプリ、ネット婚活を見ていて、とりあえず

「何か行動しないと始まらない!」

ということで、当時婚活パーティーの特番が放送されていたのを見た影響もあり、まずは婚活パーティーに行くことを選択する。

庄太郎
婚活パーティーも色々あるなぁ・・・

正直婚活パーティーを運営しているサイト主催のイベントだけでも数えきれないほどたくさんありました。

その中でも、最初は「20代限定!まずは友達気分から始めよう」

確かこんな感じの名前だったと思います。

庄太郎
20代限定かぁ、同年代の人と出会えるし、まずは友達関係から始めてもいいかな

ということで、会場が近かったこともあり、このイベントに参加しました。

そして、淡い期待を抱きつつもパーティー当日、受付を済ませて会場内へ入ると、

庄太郎
これが婚活パーティーか

参加した婚活パーティーはテレビとかでもよくやっている男性が回転すし形式で回る形のパーティーでした。

庄太郎
他の参加者の状況は・・・

ざっと見ると、20代?と思えるような参加者も数名。

庄太郎
多分あれは運営者だろうな

という感じで開催時間になり、パーティーが始まる。

基本殆どの婚活パーティーの形式が

①プロフィールカードを記載

②イベント開催後、前にいる女性とプロフィールカードを交換し、それを基に1~3分会話

③運営側から「移動してください」という案内が来たら、男性(私が参加したのは殆どこの形でした。一部女性が移動するのもあります)が横スライドで移動する。

④②→③を参加者の女性全員と話すまで進める。

⑤全員と話し終えたら、後はフリータイムとなり好きな女性の所へ行き、自己アピールを全面的に行う。

⑥運営者から「終了です、自分の席に帰ってください」という案内がきたら自分の席に戻る。戻ると運営者からマッチングカード(誰と連絡先を交換したいか、第1~第3まで記入できるカード)を渡される。(このカードは第1希望のみの時もありました。要はそのパーティーの状況によります)

⑦運営者がマッチングカードを回収し、第1希望どうし合った所がいたらカップル成立、連絡先高官

以上が婚活パーティーの一連の流れです。大半はこの形に集約されます。

話を戻して、私が参加したこのパーティーも、まず初めに渡されたのがプロフィールカードで、これにニックネームや年齢、趣味、特技、何か1言を加えていきます。

そして、目の前にいる女性にこのプロフィールカードを渡し、お互い話のネタを引っ張ってきて1~3分話し合い、全員回った所で好きな人の所に行き、自己アピールを行うという形式でした。

まず相手にプロフィールカードを渡し、相手からももらう。

庄太郎
よろしくお願いします

相手「よろしくお願いします」

相手のプロフィールカードを見る。殆ど白紙。一番話題を広げやすい趣味の欄も空白。

庄太郎
・・・

相手「・・・」

こんな状況になったのは何回もありました。正直言って友コンと名の付く婚活パーティーはお勧めしません。行くだけお金の無駄です。

なぜなら、この時もそうでしたが婚活パーティーは大体女性参加者の方が集まりにくいため、男性参加者に比べて女性参加者の参加費を大幅に安くしている傾向があります。

男性が5000円払ってきているのに対し女性は無料や500円とか。

その時点でやる気が全然違いますね。

男性がいくら積極的にしても当の女性の方は

「無料だからいい人いたら御の字かなぁ」とか

「友達が来たいって言うからついてきた、私はその友人の付き人」

というのが結構ありました。

まだ「無料だからいい人いたら御の字かなぁ」

と言っているタイプの人はそこそこ書いてくれるので話の話題を広げやすいのですが、

「友人の付き人」というタイプの場合、ほとんどプロフィールカードに記載がなかったです。

中には結構記載していて「友人の付き人」というのもありますが、これも相手のやる気度合いを見たらわかります。

そんなにも相手を欲していない人は基本やる気がないです。

また話を戻しますが、実際この参加したパーティーは半分以上がプロフィールカード空白でした。

そして、やる気のある女性もいたことはいたのですが、条件が合わず終了。

庄太郎
初めてのパーティーだから仕方ない、次行こう

ということで、また婚活パーティー探しが始まりました。

次に行ったパーティーがある有名レストランでのバイキング形式で食事をしながらの婚活パーティーでした。

庄太郎
ここのバイキング行ったことないから一度行ってみたかったから行ってみよう

ということで、2つめはレストランでのバイキング形式のパーティーを選択する。余談ですが、このレストランは現在もうありません。バイキング美味かったのに・・・。

庄太郎
今度はどんな感じなんだろう

と淡い期待を持ちつつ、婚活パーティーへと向かう。

この時の婚活パーティーは参加者が結構いました。

有名レストランのバイキング形式になると途端に参加者が多くなります。

ただ、結論から先に申し上げますと、ここでも成果はありませんでした。

有名レストランやホテルでのバイキング形式の婚活パーティーになりますと、参加者が多くなるのは確かに事実です。

ただ、この時の参加者の中にいたのですが、

「ここの料理が目的で来た」

という相手よりも料理目的で来ている参加者が少なからずいます。

そして、その時料理目的で来てた女性は男性の話や聞くこともなく、バイキング形式の料理ばかり食べてイベントを終わらせたという。

庄太郎の心の声
・・・

苦笑いするしかありませんでした。

ちなみに、料理目的で来た女性は、男性参加者の3倍近い量を食べてました。

庄太郎の心の声
どこにそれだけ入るんな???

と思いましたね。

料理食べてるときは某アニメの飯食ったら豚になる作品みたいな食いっぷりでしたよ。

このイベントを機に、また良い婚活はないかと探す日々がしばらく続きました。

庄太郎
何かいいパーティーはないのか

探す日々が続くこと2週間、ある内容に目が留まりました。

それは、婚活サイトの運営者が婚活についてアドバイス、進め方について講演を行うというもの。

そして、会場を見てみると、珍しく私の住んでいる所から近い場所で講演を行うと書いてました。

庄太郎
今スパイラルに入っているから何かきっかけになればなぁ

ということで、この方の講演に参加しました。

ある意味、ここでの講演に参加したことが、私の人生を左右する1つ目のターニングポイントになります。

講演会に参加

講演の日、私は講演会場周辺を散策し、今後のことを考えてました。

庄太郎の心の声
できれば28までに結婚し、30を迎える頃には子どもが欲しい

当時23歳の秋でした。

秋と言っても季節が冬に変わろうとしている頃です。この時に大体の方向性を決めたことになります。

そんなことを考えていたら、講演の開催時間になり、婚活サイトの運営の方からの講演を聞く。

その講演では、

「婚活サイトは巷でよく言われている出会い系サイトとは違い、本気で結婚したい、しかし、出会いがない、そういった方々に満足できるようなサービスを提供している。

そして、参加してからは本人の活動次第で、結婚まで行くことは可能である。

運営していて何組もの結婚報告を聞いてきた」

事などを話していました。

この話を聞いているうちに、

庄太郎
婚活サイトもいいなぁ

と思うようになりました。

講演終了後、この講師の方に色々質問しました。

そうしたら、講師の方が

「君、この婚活サイトに参加しないか?君ならすぐに相手が見つかる、そしてそのためのコンサルもしてあげる」

と言われました。

庄太郎
ぜひ参加します

と言い、コンサル料を支払って紹介してくれたあるサイトへ行くことになります。

なお、先に言っておきますが、私が活動したこのサイトは現在ありません。

当時参加していたパーティーで知り合った方々と連絡先をよく交換していたので、その友人から今でも時たまアドバイスしてほしいということでパーティーに招待されることはあります。

その時に仕事の都合と調整し、行けたら行っている状況です。

中には遊びに誘ってきてくれる方もいます。

これはこれでいい経験になったと思います。

ただ、私がこの時参加したサイトは今ありません。

これと似た形式でできる所はありますので、この記事の所々で紹介しております。

婚活サイトへ参加

講師の方に紹介してもらった婚活サイトへ23歳の冬に参加した私庄太郎。

入ったすぐは、婚活サイト独特のシステムがわからずに、操作に慣れることに四苦八苦しました。

そこは日記形式で日々のことを綴れたので、まずは日記を書こうと思い、入った当日に日記を書いてみました。

確か「使い方がわからないです。適当にいじってみます」

最初はこんな一言くらいしか書いてなかったと思います。

それでも、運営の方や色々な方からコメントが来ました。

庄太郎
結構優しい人が多いなあ

と思ったのが第一印象でした。

それから操作にも慣れ、このサイトの仕組みも段々と理解してきました。

趣味の合う方とかとサークルを立ち上げ、そのサークル内でイベントを企画することができること、そして、時たま運営の方が主催になって公式でイベントを行っていること。

などが分かりだして、まずはサークルに入ることから始めようと思い、手当たり次第にサークルに入りました。

ごちゃまぜ系のサークル、アニメ趣味の人たちが集まっているサークル、フィッシング系のサークル、ドライブ系のサークルなど、パッと出てくるものだけでもこれくらいです。

それ以外にもいっぱい入ったと思います。

そのサークル内でもコメントを書くことができたので、その中でも初めての方が挨拶をしている所があったのでそこへあいさつを入れる。

そしたら、サークルの運営している方から数日後に温かい返事がありました。

そこには「またイベントを行いますので仕事の都合が合えば参加お願いしますね」

と綴られていました。

庄太郎
近いうちにイベントかぁ・・、仕事の都合が合えば行ってみようかな

と思いました。

それからイベントの案内が来るのは早かったです。そして日程を見ると仕事の都合も大丈夫。

庄太郎
これもチャンス、行くしかない

ということで、イベントに参加しました。

この婚活サイトでは、イベント参加したら事前にどんな参加者がいるか、そして、その参加者の好きな事とかは何か、というのが事前に日記やプロフィールを見たらわかる仕組みになってました。

今までの婚活パーティーは参加したその場で相手のことを知り、そして話すというスタイルばかりでした。

しかし、婚活サイトなら事前に相手のことを知る時間的余裕が生まれ、そして相手のことをより深く知れるようになります。

私自身イベントに参加する前に相手のことを知れる、という所に深い感銘を覚えました。

事前情報があるとないのとでは大きく違います。

事前情報があれば、どんなことを話したらいいかとかイベント(会う時)までに準備することができるので、会ってからでもあたふたすることは少なくなります。

受験勉強とかでもよくありますよね。

まず志望する大学の過去問からどういう傾向がよく出るのか調べるという、それに近い感じです。

そして、婚活サイトでの初イベント当日、私はどんな服装で行ったらいいのかわからなかったので、無難にスーツで行きました。

場所はおしゃれなバー。

この時の参加者は男性5名、女性5名、計10名の小規模イベントでした。

庄太郎
初めまして、庄太郎と言います。よろしくお願いします。

事前情報を得ていたので、相手のことはニックネームを聞いて大体わかりました。

そこから相手の趣味や好きな事とかで話を広げていってイベント終了まで楽しいひと時を過ごすことになりました。

イベント終了後、2次会でカラオケに行き、さらに少人数になった参加者同士で交流を深め、そのイベントは終了。

初めての参加で満足したイベントは初めてでした。

庄太郎の心の声
これはいいなぁ、これならいけるかも

と思い、また別のイベントはないかと探す。

そしたら、アニメ趣味の方のイベントで今度はクリスマスパーティーをやるということで私は迷わず参加ボタンを押す。

いざイベント当日、クリスマスイベントでしたので事前にクリスマスプレゼントを購入する。

庄太郎
女性に渡すことになってもいいように女性向けのやつにしよう

ということで購入したのがアロマキャンドルでした。

それを携え、イベントに参加する。

このイベントも楽しいイベントでした。アニメの話からそれ以外のことから色々なことで盛り上がり、1次会は終了。そして2次会へ移りました。

2次会に移った時に、その時のイベントの幹事をしていた友人がそのサークル内で知り合った彼女を連れてやってくる。

幹事「幸せそうやなぁ」

友人「幸せよ~、幹事も早くこっちの世界に来たら」

カラオケで歌っている時でも幹事の友人は彼女とラブラブな所を見せつけてくれました。

庄太郎
うらやましいなぁ・・・早くそっちの世界に行きたい

ということで、途中幹事の友人がトイレで抜けた時に一緒に出て、その幹事の友人と話しました。

この幹事の友人はその時で27歳(私より4歳年上でした)で、彼女と知り合った経緯についても詳細に話してくれました。

知り合ったのはやはりこのサークル内で、もともと幹事の友人がその彼女さんを気に入ってたらしいです。

そして彼女さんの方も趣味が合って優しいこの幹事の友人に好意を抱き始めたのを知ったこの時の幹事が

幹事「両想いなのにもったいない、引き寄せてあげよう」

ということで一手打ったらしいです。

それがきっかけで幹事の友人とその彼女さんは付き合うようになったとか。

(その一手を知りたいと思いますが、何分昔のことなので忘れました。すいません)

中抜けで戻ってきた後もラブラブな所を見せつけられた私はより彼女がほしい、結婚したい意思が強くなりました。

そして、この時に幹事の友人からイベントの仕方とかを色々教えてもらったため、私はここから参加者でもありイベントの企画者への道を歩むことになります。

実質イベントの企画者にここで回ったことが第2のターニングポイントになります。

企画者へ行くことにより、イベントの会場決め、メンバーの把握、イベント当日には参加者の確認、受付、イベント最初と最後の挨拶、会計を行います。

会計は別に担当者を敷いてする所もあったりしますが、私がしたイベントは基本私がまとめて支払ってました。

まず、イベントを行うことによって参加者全員を知ることになります。そして参加者からも幹事のことは知ってもらえるようになります。

過去の特徴ある人の所でも書きましたが、人数の多いイベントになりますと、大体印象に残る方といいますと特徴あるアピールを行ったか、イベントの幹事かになります。

特徴あるアピールを行うのが私にとっては難しかったので、そういうのが必要なく、そして、確実に参加者から覚えてもらえる「幹事」の道を選び、歩むことになります。

この道を選んで良かった所が、

①各参加者のことを深く知ることができること

イベントの参加者であっても日記形式だったので、それやプロフィールをみたら大体のことはわかります。

ただ、幹事になった場合、イベントで会話が途切れた場合や、話すことができなくてオドオドしている人がいたらそれに助け舟を出さないといけません。

その話題作りのために、1参加者よりも深く相手のことを知る必要が出てきます。

この辺りは婚活する上でかなり重要な要素です。

まずは相手のことを深く知る!これ重要です。

②運営側の視点に立ち、イベントのサポートができる

イベント運営側に立った場合、大体のイベントの流れを身を持って体感することになります。

そして、イベントをしていた時に起きたハプニング等があればなおいいです。

そういった経験が、自身参加者になって参加した時に、幹事の手助けをすることができ、また参加者にとってはそれが大きなアピールポイントにもなるからです。

この辺りは場数踏んで経験積むしかできませんので、場数を踏んでくださいとしか言いようがないです。

上記2点が私が運営側の道を選んでよかった点です。

1参加者でも気をつければ把握できることでもありますが、手っ取り早く経験するには運営側に立つのが一番早いと感じたため、運営側に回った次第です。

もしそういう機会があった場合は、上記2点を参考にしてみてください。

参加者から企画者へ

いざ企画者に移ったのはいいのですが、まだこの時婚活市場に参加して2か月の新米でした。

そのサイト内で知名度もなかったので、イベントを企画しても参加者が来ません。

庄太郎の心の声
どうしたものか

と思った時に、クリスマスイベントに参加した時の幹事が年明けにもイベントを企画していたのですが、仕事の都合で参加できなくなったとの日記を見る。

この時すでに私も参加していたため、参加者は合計8人、運営するにはちょうどいい人数。

私はすかさず幹事に連絡

庄太郎
代わりに運営しようか?

幹事「ありがたい、助かる」

ということで、幹事交代になり、私が変わって運営を行いました。

この時は結局幹事が抜けて7人で開催しましたが、参加者からの返答もよく、「いいイベントになりました」という日記が多くありました。

初めてのイベントで成功した私はそこから立て続けにイベントを立てます。

知名度を上げるためでもありました。

そして、この辺りは1対1でもいえることですが、知名度を上げるためには積極的に自身がアプローチしていく必要があります。

私の参加していた所でしたらこのようにイベントの幹事をする、1対1で基本行う婚活アプリでしたら積極的にメッセージを送る、という感じに。

とにかく場数を踏むことが大事です。

1回2回で成功して相手を見つける方もいますが、それはレアケースです。

とにかく場数を踏んでいくことが大事です。

場数踏むことによって、自然と慣れていきますので、自然な自己アピールやあった時にスラスラ話題が出てくるようになります。

・婚活パーティーでも1対1でも場数を踏むことが大事

イベントを開催しすぎてイベンター化、サークル運営に回ったが色々あって体調崩す

このイベントの幹事ですが、いい所もあれば欠点もあります。

それは、私みたいにイベントをあまりにも開催しすぎたら、参加者<イベントの企画者というイメージがついてしまい、恋愛対象として見られることがなくなることです。

そして、イベントを開催していたら、その内固定で参加してくれる参加者が出てきます。

これが出てきたら一定の知名度を手に入れたということになりますが、ある意味これが曲者でもあります。

私も実際経験したことですが、イベントの参加者の中で「全員」知っている方というのが何回かありました。

参加者同士の中には知らない方もいたのでそれはそれでよかったと思いますが、「全員」知っている方になると途端に恋愛対象として見れるか微妙な所になります。

何度か会ってから恋愛に発展したケースも観てきましたが、基本全員知っている方になるとなかなか厳しい所があります。

やはり「新しい参加者が欲しい」という感情が出てきます。

これが1対1の婚活アプリなら、検索かけても一度メッセージ送ったことのある方ばかりになるというパターンですね。

そして、幹事を中心にしていたのですが、途中訳あってサークルの運営自体を任されることになります。(この辺りは別の記事で記載しているので省略します)

サークルの運営に回ると、運営者同士でコミュニケーションができ、いろいろな参加者の裏事情とかも入ってきます。

中にはあまり聞きたくない情報もあったりします。

私はサークル運営に回ってそういったことにちょっと苦しみを感じたりもしました。

そして、メンバーないの軋轢(別記事参照)とかもたまに発生し、中には日記が炎上(別記事参照)したケースもありました。

色々な問題に巻き込まれながらも懸命に相手を探しておりました。

その中で、ある出来事が発生しました。

この時27歳の春だったと思います。

この時点でサイトに参加してから3年半、イベントを運営してから3年ちょっと経ってある意味ベテランの域に入ってた頃です。

ちょうどその時は仕事でも激動の時でした。

中間管理職から上が全て変わり、今までの仕事のやり方が一変し、今までのやり方が通用しない時でした。

仕事の上司ともなかなかうまくいかず、そして婚活サイト内でもサークル運営側に回ったため色々な軋轢や問題に巻き込まれ、その対応に追われておりました。

とどめを刺したのは家族(祖母が病気で倒れる)でしたね。

いろいろなことがありすぎて身体がついていかなくなりました。

営業から帰ってくる車を運転していた時、一瞬でしたが意識が飛んだ時がありました。

庄太郎
これは何な?

と思いましたが、とりあえず職場まで車を運転し、調子が悪いということでその日は昼から休暇を取る。

家に帰ってきてから2日半寝込みました。

それからも時々おかしい時があり、秋くらいになると本格的に体調がおかしくなりました。

庄太郎
これはまずいぞ

ということで病院に行った所、自律神経に問題があるということでした。

休職するほどでなかったのですが、病院に通いながら仕事に行くことを半年近くしておりました。

その影響で、この療養期間は婚活を休止してました。

まずは自分の体を休めることが大事です。

実質イベントに復帰したのは年度が替わった時になります。

その前からあまりイベントには行っていなかったので、この期間10か月くらいはイベント活動から遠のいてたことになります。

・体調を崩した時は無理をせず休む

復帰後のイベントで転機が訪れる

 

イベントですみれと出会い、付き合うまで

年度変わって体調が回復してからイベントに復帰したのですが、10か月休んでた影響で、最初はイベントの仕組みとかを忘れていました。

思ったような運営ができないこともありましたが、それも2回、3回とする内に感覚を取り戻してきました。

その中、案内が来たのが運営が主体となってする公式イベント。

今までも公式のイベントには複数回参加してましたが、この時は何故か仕事の都合も空いていて、惹かれるものがありました。

庄太郎
この日別のイベントに参加してたけどこっちの方がいいかな

と言うことで、もともと参加していたイベントをキャンセルし、公式のイベントに参加する。

この選択が私の人生を決める第3のターニングポイントになります。

公式イベント当日、私はちょっとした不注意でイベントの開催時間を間違えてしまい、15分ほど遅れて会場入りする。

公式イベントで、運営している方も知っている方でしたので、一言言うだけで事なきを得ました。

ある意味重役出勤になってしまった状況ですが、これが参加者の目をひいたみたいです。

この時の参加者は男性12名、女性4名という素晴らしい人数のイベントでした。

そして、参加していた女性も20代女性2人、30代女性1人、40代後半女性1人という構成。

庄太郎
これはある意味女性の奪い合いになるな

というのは目に見えてました。

なお、この時参加した20代女性2人の内1人が、後に私の妻となるすみれでした。

庄太郎
よろしくお願いします

と重役出勤で指定された場所に座る。

正直遅れた分事前に参加者のことは調べたので、話の話題につまることはありませんでした。

そして、1次会終了後、私が発起人となって2次会を行いましたが、そこでも参加者同士仲良くなり、全員と連絡先を交換してその回は終了する。

この時、20代女性2人の内、私は後に妻となるすみれと主でメッセージのやり取りをしてました。そしたら、

すみれ
参加者の中で積極的に言い寄って来すぎている人がいて怖い

という話をしてきたので、幹事をしていた経験から、うまく切り抜けるようにアドバイスを送る(当時の記録がもうないので思い出せません。重要な所ですが申し訳ないです)そしたら、うまいこと切り抜けれたようでした。

そして、私はすみれとイベント1週間後に1回会う約束をしました。

1週間後、すみれと会い、最初は近場でドライブをしながら世間話。

そして夕食をレストランで食べて家に送り帰る。

その翌日にもすみれと会い、今度はカラオケでお互い楽しみました。

この時点で2回会ってます。

庄太郎の心の声
次で3回目、次会った時に決めよう

と決心してました。

翌週の土曜日、すみれと会い、今度は海へ行く。

この時はまだ海水浴をするシーズンではなかったので、海へ行っても砂浜に文字を書いたり波打ち際で遊ぶくらいしかできませんでした。

砂浜に絵を描いていたすみれに対し

庄太郎
すみれさん、私と付き合いませんか

と告白をしました。その時は緊張していたのもあり、こんなにもうまく言えたかどうか今となっては不明です。

告白を聞いたすみれは最初戸惑ってました。

いきなり、という感じで(^^;

その時の返事は

すみれ
いいよ、けど、すぐ別れるのはやめてね

と言うことで私とすみれは付き合うことになりました。

すみれと付き合ってから

付き合ってから色々なことをしました。

私は大学時代に彼女ができた時にやりたいことがありました。

それは、都会の高速道路の夜景ドライブがしたい、というものです。

高速道路の夜景を背景に彼女と一緒にドライブ、一度はあこがれたものでした。

(私の住んでいる所は車社会のため、車が必須になります)

なお、この夜景ドライブも付き合って1か月後にお泊りデートをすることができ、実現しました。

すみれは夜景ドライブ中寝てましたがそれはそれでいい経験になりました。

順調なすみれとの交際、しかしまた転機が訪れる

すみれとの交際をしていて2か月が経った頃でした。

仕事をしていたら親父から連絡。

元々親父と殆ど連絡をしていなかったので、親父から連絡が来るのが珍しいことでした。

親父「昼飯食いに家に帰ったら祖母が倒れてた。今病院に連れてきてる」

というメッセージでした。

その1時間後またメール

親父「入院することになった。また連絡する」

とりあえずこの日は普通に仕事をし、家に帰って通常の日を過ごしました。

翌日の昼、親父から再度メールが来る。

親父「容体急変、すぐに来い」

そのメールが来てから仕事を休んですぐに病院へ行きました。

そこには、数日前まで元気だった祖母が意識朦朧としている状態。

親戚もかけつけて看病している所でした。

庄太郎
容体は?

親父「今日の昼過ぎからこの状態、今日明日がヤマ」

私は仕事を休んで祖母についてました。

私自身のことを申し上げますと、私が生まれてすぐに母親も職場復帰し、親父も仕事ばかりだったので、あまり両親に育てられた記憶がないです。

いつも祖父か祖母のそばにいました。

特に祖父とはよく遊んでもらってたので、今でも親父と遊んだ記憶よりも祖父母と遊んだ記憶しか思い出せない状況です。

この時既に祖父は他界しておりましたので、祖母は私にとって育ててくれた恩がありました。

庄太郎の心の声
峠を越えてくれ

と願う日々。

峠である2日を超えた頃、祖母の容体が安定し、徐々に回復の基調が見えてきました。

庄太郎
良かった

と思いましたが、現実はそう甘くもありませんでした。

親父交えて医師から現状を聞く。

医師「病名は脳梗塞です。今容体は落ち着きましたが、今後左半身が不随になる可能性が大きいです。一生誰かに介護してもらう必要があります」

それは現実とは受け止めたくない状況でした。

1週間前はあれだけ元気だった祖母が・・・今こんな状況になるとは・・・

この当時のことを思い出しても涙が出てきます。

それほどショックは大きかったです。

それから家族会議が行われ、今後のこととかを話す。

正直この時結論は出なかったので、次回まで持ち越すことになりました。

病床の祖母を前にすみれとの結婚を決意

親父と母親が帰った後、大分容体が回復して今は寝ている祖母。

祖母には事前に彼女がいることを言っていたので、家族内でも祖母だけが知っている状況でした。

祖母が起きたので、その時に祖母に言いました。

庄太郎
人生決めるからな

祖母は私の言葉を聞き、うなずいてくれました。

多分病床にあった中でも理解はしていたと思います。「結婚するんだ」と。

なお、こんな状態でも週末には後に妻となるすみれには会ってました。

すみれにはこの状況を話すと、すみれも共感してくれ、私を抱きしめてくれました。

この時に私はすみれとの結婚を決意しました。

そして、すみれとの両親にまずは会う。

すみれの両親は優しい方でした。

今でも優しくしてもらってます。

私の状況もすみれが話してくれてたので、心配してくれ、今後の動向を見守るような感じでした。

庄太郎
すみれの両親に会うのは終わった、今度はこっちの両親だ

この時お盆が過ぎた頃でした。時期的にもいいので両親に話すのは8月最終日に決める。

8月30日の晩、いつものようにすみれの所に行く前に両親に言う。

庄太郎
明日彼女を連れて家に来る、絶対いるように

親の反応を見ることもなく外に出ていきました。

そしてすみれと会い、翌31日、まずは祖母の入院先にすみれを連れていく。

祖母とすみれを初対面させる。

祖母はかなり嬉しそうな表情ですみれに向けておりました。

まだ言葉がこの時ちゃんと出なかったので、言いたいことは言えそうになかったのですが、表情を見ると「庄太郎をよろしく」というのが伝わってきました。

そして、祖母に会った後、実家の両親に会う。

両親とすみれ初対面。

何故か親父はスーツを着てました。なぜに??

そして見たことないくらい言葉を噛みまくる親父。

多分緊張していたんだろうと思います。

母親も狐につままれたような表情をしてました。

そして親父が先走りトントン拍子にお互いの両親に合う日取りを決めました。

庄太郎
これでよかったなぁ

結納

それから2か月後、私の親とすみれの両親が初めて会いました。

その1か月後、簡単ながら結納を済ませる。

この時点で結婚が正式に決まったので、職場にも報告する。

職場からは、入籍してから祝福するということで終わりました。

職場に事前報告したのは、結婚式の日取りをさっさと決めておきたかったのもあるからです。

当時仕事でも色々抱えているものがあったため、1年近く前から日を押さえておかないとスケジュール入れられる可能性があったためです。

職場に報告したこの時点で結婚することはほぼ決まりました。

殆どの場合双方の親からの合意が得られ、職場にも報告が終われば大体は結婚まですんなりいきます。

この後も話は続きますが、

「庄太郎さんの話を聞いて結婚出来る気がした!」

「早く活動したい!」と言う方。

その気持ちが大事です。その気持ちが熱い内に早く行動に移してください。

何事もまず行動することが大事ですよ★

そのための行動に移す場所はこちらになります。

私が活動していた所と似たシステムで、日記機能があり、そして趣味や興味のある事がらでサークルを作ってそれについて交流する場所もあります。

ここは1対1でメッセージ交換を行うタイプですが、私自身婚活パーティーよりも1対1でメッセージ交換をする方が早く結婚できたのではないかと今となっては思います。

私みたいに4年も皆さんにはかけてもらいたくないです。

私の経験談を見ていただいて行動する気になった方は、早く行動に移しましょう★

鉄は熱い内に打たないとダメですよ(笑

「まだ行動には・・・」と思われた方はこのまま読み進めてくださいね。

この後、私庄太郎の身に大きなトラブルが起こることをこの時はまだ想像もしておりませんでした。

晴天の霹靂

祖母が倒れ、私が両親に報告した段階で、母親が祖母の介護をするということで仕事を辞めました。

この時点で働いているのが私と親父の2人になります。

結納が終わって冬になり、年末年始の準備を行おうかと思ったころに、親戚から1本の電話が来ました。

それは、私が思ってもいなかった事でした。

親戚「お前の親父リストラや」

私は言葉を失いました。

ただでさえ病床の祖母、そして仕事を辞めた母親、その上親父までリストラとは・・・。

電話来てから即親戚の所へ行きました。(親戚と親父は同じ職場のため)

親戚(叔父)「こうなることはわかってた」

と言い、親父のことを言いまくる叔父。そして矛先は私の方へ

叔父「そもそも、ワシはあの時お前の親父と母親が結婚することに反対してたんや。それを聞かずに結婚したからな。もっと反対しておけばよかった。そうしたらお前も生まれてこなかったんやけどな」

この叔父は働き出して私の調子が悪くなった時(上の方に記載あり)にいつも釣りに連れて行ってくれた叔父です。

私が体調持ち直したのもこの叔父のおかげでもあったのですが、まさかこんなことを言われるとは思っていませんでした。

この記事の最初に私が徹底的に親からのお見合いを嫌ってた理由がここになります。

私の親父と母親はお見合い結婚です。

そして、親父は当時付き合ってた人がいたらしいのですが、縁談の話を持ってきた知り合いの人に言われるがまま女性(のちの母親)とお見合いし、結婚しました。

その結婚した理由が「金目当て」という私でもあきれた理由で結婚を決めたらしいです。

そして、母親も昔素行があまり良くなかったみたいで、昔の友人からの評価もかなり悪い方でした。

これは後から聞いた話ですが、この時親父と母親を紹介した仲人はその後蒸発したみたいです。

叔父は早い段階でその事に気づいていたため、当初から結婚に反対しておりました。

しかし、私の親父が話を聞かずに結婚した、という次第です。

実際叔父の予想は当たっていました。

金目当ての結婚に愛情なんてわきませんよね。

私もわかないと思います。

結局1~2時間くらい叔父に悪口を言われ、その場は後にしました。

そして、叔父はそれ以降私の生家には近寄ることもないです。

なお、私はその後叔父から「あの時は悪かった」と謝罪され、今は時たま叔父の家に行ったりしてます。

私に子どもができてからなかなかいけませんが時期を見てまた叔父の所へ行こうと思います。

話を戻して、家族4人の内働いているのが私のみという最悪の状況になってしまいました。

そして、私はこの時家を出ていくことをもう決めてました。

庄太郎
これからどうするん?

親父「知らん」

リストラに遭った親父はこんな感じでした。

とりあえず退職金は出てそうだったため、当分の生活には困らないだろうと判断。

私は自分自身の道を進んでいくことを決意する。

この判断をしたのも、親父の場合専門の国家資格を持っているから本気出して探せばすぐに仕事は見つかる事がわかっていたのもあります。

実家を出てから入籍まで

年が変わってから結婚式の日取り、新婚旅行の日取り(私は海外挙式にしたく、すみれもそれに同感してくれたので海外挙式で日程を選ぶ)を決め、両親に確認。

そしたら彼女の父親がそれだけ休みが取れないということで両家とも両親は参加せず、2人だけで結婚式をすることにしました。

それと並行して、新居の契約を済ませ、3月下旬に実家を出てすみれと同居生活をはじめました。

実家を出ていく頃には祖母は退院し家にいたのですが、自分で荷物を積み、実家を出ていく時に、車いすを必死にこぎながら半泣きの目で実家を出ていく私を追いかけていたのが個人的に切ない気分になりました。

すみれと同居生活を始めてから約3か月後、付き合い始めた日に婚姻届けを出して入籍しました。

この時28歳になろうとしている歳でした。

5年前に目標として掲げてた「28までに結婚したいな」という希望が叶えられた瞬間でもあります。

入籍後から現在まで

 

入籍してから4か月後に海外で結婚式を挙げました。

初海外だったため色々ありましたが、それはそれで楽しい新婚旅行になりました。また行きたい所でもあります。

そして、結婚してから言われるのが

「子どもは?」

とよく言われます。

実際私も言われまくりましたが、

庄太郎
子どもは授かりものやからいつ来るかわからん、いつか来るさ

と言ってのらりくらりしていた日々が結婚してからしばらく続きました。

そんなことが続いた後、すみれから待望の報告が来ました。

すみれ
できたみたい

うれしかったですが、まだ何があるかわからない状況。

周りへの報告は安定期になるのを待って報告しました。

まず報告したのは祖母です。

一時はどうなるかわからない状態でしたが、あれから驚異的な回復をみせ、左半身不随と言われていた所が杖をついてなら1人で歩くことができるほどに回復しておりました。

庄太郎
ひ孫に会えるぞ

祖母「本当?」

あれほどうれしい表情をした祖母は初めてでした。

もともと祖母は子どもが好きです。

そして、自身ひ孫を見れるということでうれしさが倍増したんでしょうね。

祖母に抱いてもらうのは子どもの首が座るまで待つことになりましたが、ひ孫を抱いた祖母は嬉しそうでした。

そして、29歳の時の秋に待望の子どもが生まれました。

当初30歳までには子どもが欲しい、と思ってましたが、その目標より1年早く達成できました。

そして、29で子どもが生まれたのは親父がちょうどその時に私の兄ができた時と同じ年齢です。

親父と同じ年で子どもか・・・これもまた運命だな。

と思い、今は育児に奮闘している日々を送っております。

余談ですが、実家を出ていく前にリストラに遭った親父ですが、私が実家を出てすぐに再就職先を見つけ、今でもそこで働いています。

実質失業期間は4か月あるかないかでしたね。

そして、仕事を辞めた母親も祖母の体調がよくなったことを機に今はパートで働いています。

まとめ

 

・婚活を始めたきっかけは親からの釣書攻撃、見合い攻撃がいやだったため

・そして最初に参加した婚活パーティーで散々な目に合う

・何かきっかけはないかと言った婚活サイト運営者の講演を聞いて、婚活サイトですることを決意する

・婚活サイトで婚活を始めて、手ごたえを感じて参加者から幹事(運営者)に移行する

・幹事からサークルの運営者になったが、その時に色々ありすぎて体調崩す

・復帰後のイベントで妻のすみれと会う

・すみれと会ってから3回目のデートで告白し、付き合いだす

・付き合いだしてから家庭内で色々あったが、付き合って1年後に結婚

・今は育児に奮闘中(笑)

以上、私庄太郎が妻すみれと出会いから結婚までの流れでした。

正直、これでもまだ一部分です。

もう当時活動していた婚活サイトが存在しないので、過去の記憶をたどって記載しました。

また思い出せるものがありましたら追記していく予定です。

ただ、これだけは言えます。

・婚活は考えるより行動することが大事

何事もまずは行動してみることが大事です。

これは私の記事でも、友人の体験談の記事でも記載しております。

行動してみて、改善するところがあれば改善し、また行動に移す。

Plan(計画) Do(行動) Check(確認、訂正) Act(行動)

社会人なら一度は聞いたことのあるこのPDCAサイクルが婚活を行う上でも重要になります。

そして、婚活をしている中で自分の悪い所とかを見つめなおす機会が出てきます。

そういう時に、「ここはダメな所だな。」と気づき、直していく。

これが大事になってきます。

これは自身で気づくこともあれば、他人から言われることもあると思います。

他人から言われたら正直腹の立つこともあると思いますが、そこはグッと堪えて治すことができる所なら治してください。

私の経験談を見ることによって、婚活の成功者がどんな行動をし、時々によってどんな決断をしたか、参考になればと思います。

私の場合、環境要因で結婚が早まったのもありますが、大体は付き合ってから1年以内に結婚か別の方に行くか決めてあげることがお互いにとってもいい流れになります。

なかなか結婚もせず、ズルズル引きずっていくのはお互い良くありません。

1年以内に付き合っても結婚が見えてこなければさっさと次の人に移ってください。

これは友人も同じことを言ってます。

時間は有限です。その大事な時を最大限に活用しなければならないので、できるだけ早く決断していくように心がけて頂ければと思います。

そして、私が活動した婚活サイトは今はもうありません。

私が活動した婚活サイトが残っていたらそこを紹介するのですが、もうサイト自体が存在しないので代わりに似た形式でできる婚活サイトを最後に紹介しております。

私自身、婚活パーティーを主体に活動してましたので、実質結婚するまでに4年近くかかりました。

できれば、下記で紹介するようなサイトで1対1で最初から会う所で活動していたら、もっと早く結婚できていたのではないかと今となっては思いますね。

結婚までにつぎ込んだ金額も札束1本くらいになると思います。

それでも、私は結婚できたので後悔はしておりません。

なお、私の経験話を見て頂いてわかる方はわかると思いますが、やり方は婚活パーティーでも1対1で会う形でもあまり変わりません。それは、

どれだけ相手の事を短時間で知ることができ、それに対して行動できるか

この部分にかかってきます。

なので、私がおすすめする婚活サイトは、婚活に参加したら日記が見れる所がいいです。

日記を見たらその人がどんな方か、その人の人となりが何となくわかります。

そして、プロフィールも確認していただき、プロフィールを見てその人がどんなことに興味があるのか、を見てください。

ここで、共通の趣味とかがあればそこから話題を広げていくことができます。

さらに、サークルやコミュニティと呼ばれる趣味の合う方同士が集まって交流する場がある所ならなおいいです。

共通の趣味や話題を見つけやすくなります。

プロフィールには書いていない意外な趣味や特技を見つけることができたりもします。

私自身婚活サイトでそういう経験はよくしました。

そして、婚活パーティーや1対1で会った時に、事前に調べた好きなこととかから話題を広げていけば十分話し合えます。

この時に気を付けるのは、相手には疑問形で返すことです。

言い切りで返してしまうとそこで話は終わります。

疑問形でしたら、相手はそれに返答を考える必要があります。

そこで返答して来てくれた相手は少なからずあなたに興味があるということになります。

疑問形で送って返答がなかった場合、それはそこまでと言うことで次に移ればいいだけの話です。

会ってからは積極的に話しかけてあげ、相手のことを気遣ってあげてください。

そうすることで、相手も少しずつあなたに対し心を開いてくれます。

そして、告白するかどうかは

・3回目のデートまでに決める

のを心がけてください。

よほど感情的にも共感でき、相手も乗り気だったら1回目のデートで告白するのもアリですが、それは殆どあり得ません。

できれば2回目か3回目まで会って頂き、それで判断した方がいいと思います。

3回目までで悩む所がある場合、あなたはその相手のことが好きになれないということです。

そういう時はまた別の方を探してください。

いいですか、3回目までのデートで決めるのが重要ですよ★

ここまで読んでいただきありがとうございます。

これを読まれている方の婚活が成就することを祈念します。

要はどれだけ行動するか、どれだけ相手にアピールできるかです。

婚活で悩まれている皆さん、悩んでいるくらいなら早く行動しませんか?

行動せずに後悔するよりかは、行動してからの後悔の方がいいですよ。



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